菅原道真 学業成就で有名 道明寺天満宮/歴史ある老舗料亭 梅廼家さんに訪問(上野)
四天王寺大学 2回生 上野です。
9月27日 (水) 道明寺天満宮と料亭・梅廼家に訪問してきました。
まずは、道明寺天満宮について紹介をします。

住所:藤井寺市道明寺1−16−40
営業時間:9時〜17時
道明寺天満宮は、土師氏の氏神として成立し、のちに土師氏の子孫でつながりの深い菅原道真を祭紙に加え天満宮となりました。
学問の神様として信仰を集めています。宝物館には、菅原道真公の愛用の品と伝わる国宝、伝菅公遺品をはじめとして多くの貴重な文化財が所蔵されています。梅の名所として名高く、毎年2月から3月にかけて多くの参拝者が境内の梅園を訪れます。

上の写真は、道明寺天満宮の中にある「撫で牛」と呼ばれる牛の像です。
撫で牛とは、自分の体の悪いところを撫でた後、その牛の同じ個所をなでると牛に悪い病気が移り、治るという風習です。
撫で牛は、ベタッと地面に座り込んでいます。これには意味があり、それを紹介したいと思います。
901年、菅原道真は、政治闘争に敗れ北九州に流されます。その後失意のうちに亡くなり、遺体が牛車で運ばれているときでした。牛がある場所で突然へたり込んで動かなくなったそうです。
これは、菅原道真が、ここを墓にしてほしいとの意思と判断し、その場所を墓所としました。それが後の太宰府天満宮となります。
それ以降、菅原道真を祭る神社は「天満宮」と呼ばれ、天満宮では牛が神獣とされています。そして撫で牛は墓所を決めるきっかけとなったへたり込みがイメージとなっています。
次に、さざれ石について紹介します。

さざれ石も道明寺天満宮の中にあるもので、国歌の「君が代」の歌詞にでてきます。
この岩は、白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩です。悠久の歳月の間に多くの小石が寄り集まってできたもので、河内長野市滝畑から平成の御大展記念として、道明寺天満宮に移されました。
撫で牛のポーズに意味があったり、国歌の歌詞に出てくるさざれ石があったり、道明寺天満宮にすごく興味を持ちました。
推古天皇の時代からある神社らしく、歴史を感じました。
次に、料亭・梅廼家について紹介します。
梅廼家は、道明寺天満宮の石段下にある料亭です。
料亭:11時〜22時、最終スタート、19時から。
割烹:11時〜14時、13時〜21時30分です。
定休日は月曜日(月曜日が祝日の場合は営業)
住所:大阪府藤井寺市道明寺2−5−41道明寺天満宮前
0120-568-678
(外観)

中はこのような感じになっています。

(梅廼家の歴史)
新しい時代が到来した激動の明治八年、初代菰田造によって「料亭梅廼家」は誕生しました。
昭和五八年十一月、会席の味にさらに磨きをかけ、「割烹 梅廼家」を新設。
平成九年店舗を新しく建てなおし、現代も初代から受け継いだおもてなしの心が息づいています。
梅廼家の料理には、「道明寺粉」を使っており、道明寺粉とは、平安時代に、菅原道真公の叔母の「道明寺の覚寿尼」が大宰府に流された道真公を思い、大宰府に向かって毎日ご飯をお供えし、それを人々に分けたところ、病気が治ったということから、餅米を乾燥させてお寺で提供するようになったことが道明寺粉の由来です。

この写真は、梅廼家の中にある菅原道真が書いた俳句です。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」
訳は、(春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな。)という意味で、素晴らしい句だなと思いました。
梅廼家は、外観も中も高級感が漂っており、すごく雰囲気の良い料亭でした。まだ料理は食べたことがないので、いつか食べに行きたいと思います。
9月27日 (水) 道明寺天満宮と料亭・梅廼家に訪問してきました。
まずは、道明寺天満宮について紹介をします。

住所:藤井寺市道明寺1−16−40
営業時間:9時〜17時
道明寺天満宮は、土師氏の氏神として成立し、のちに土師氏の子孫でつながりの深い菅原道真を祭紙に加え天満宮となりました。
学問の神様として信仰を集めています。宝物館には、菅原道真公の愛用の品と伝わる国宝、伝菅公遺品をはじめとして多くの貴重な文化財が所蔵されています。梅の名所として名高く、毎年2月から3月にかけて多くの参拝者が境内の梅園を訪れます。

上の写真は、道明寺天満宮の中にある「撫で牛」と呼ばれる牛の像です。
撫で牛とは、自分の体の悪いところを撫でた後、その牛の同じ個所をなでると牛に悪い病気が移り、治るという風習です。
撫で牛は、ベタッと地面に座り込んでいます。これには意味があり、それを紹介したいと思います。
901年、菅原道真は、政治闘争に敗れ北九州に流されます。その後失意のうちに亡くなり、遺体が牛車で運ばれているときでした。牛がある場所で突然へたり込んで動かなくなったそうです。
これは、菅原道真が、ここを墓にしてほしいとの意思と判断し、その場所を墓所としました。それが後の太宰府天満宮となります。
それ以降、菅原道真を祭る神社は「天満宮」と呼ばれ、天満宮では牛が神獣とされています。そして撫で牛は墓所を決めるきっかけとなったへたり込みがイメージとなっています。
次に、さざれ石について紹介します。

さざれ石も道明寺天満宮の中にあるもので、国歌の「君が代」の歌詞にでてきます。
この岩は、白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩です。悠久の歳月の間に多くの小石が寄り集まってできたもので、河内長野市滝畑から平成の御大展記念として、道明寺天満宮に移されました。
撫で牛のポーズに意味があったり、国歌の歌詞に出てくるさざれ石があったり、道明寺天満宮にすごく興味を持ちました。
推古天皇の時代からある神社らしく、歴史を感じました。
次に、料亭・梅廼家について紹介します。
梅廼家は、道明寺天満宮の石段下にある料亭です。
料亭:11時〜22時、最終スタート、19時から。
割烹:11時〜14時、13時〜21時30分です。
定休日は月曜日(月曜日が祝日の場合は営業)
住所:大阪府藤井寺市道明寺2−5−41道明寺天満宮前
0120-568-678
(外観)

中はこのような感じになっています。

(梅廼家の歴史)
新しい時代が到来した激動の明治八年、初代菰田造によって「料亭梅廼家」は誕生しました。
昭和五八年十一月、会席の味にさらに磨きをかけ、「割烹 梅廼家」を新設。
平成九年店舗を新しく建てなおし、現代も初代から受け継いだおもてなしの心が息づいています。
梅廼家の料理には、「道明寺粉」を使っており、道明寺粉とは、平安時代に、菅原道真公の叔母の「道明寺の覚寿尼」が大宰府に流された道真公を思い、大宰府に向かって毎日ご飯をお供えし、それを人々に分けたところ、病気が治ったということから、餅米を乾燥させてお寺で提供するようになったことが道明寺粉の由来です。

この写真は、梅廼家の中にある菅原道真が書いた俳句です。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」
訳は、(春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな。)という意味で、素晴らしい句だなと思いました。
梅廼家は、外観も中も高級感が漂っており、すごく雰囲気の良い料亭でした。まだ料理は食べたことがないので、いつか食べに行きたいと思います。